【特集記事ピックアップ】古谷 拓郎×田宮裕涼 2019年 新春特別インタビュー ドラフト 同期対談


2024年度にプロ野球でブレークした 田宮 裕涼選手(北海道日本ハムファイターズ)。
プロ入りの時から「走れる捕手」を目指していた……

エールスポーツ千葉 2019.3-4月 Vol.23 より インタビュー記事を掲載します

2019年 新春特別インタビュー ドラフト 同期対談
古谷 拓郎 (投手:習志野高校)
田宮 裕涼 (捕手:成田高校)

2019年シーズン開幕へ向けてのプロ野球キャンプイン。
新人選手たちの初々しい表情の中に、去年まで県内高校野球界を沸かせた選手の姿もあった。
球団は違えども、奇しくも二人は指名順位が同じで、両軍ともに千葉県にゆかりがある。
そんな偶然の運命をかみしめながら、将来の成長を誓い合った。


―― お二人とも、もうサインはかなりしましたか?

古谷 平仮名、漢字、ローマ字など自分なりに色々なパターンを調べたり考えたりして、こだわりを持って完成させました。もうかなりさせていただいたので、慣れてきました(笑)。

田宮 実はプロ志望届を出す前にチームメイトが考えてくれたものがあって、これが結構良かったので、使わせてもらっています。

―― お二人にとって、高校野球はどのようなものでしたか?

古谷 とにかく、きつかったというのが実感です。練習が厳しかっただけではなく、習志野という伝統を背負う重圧が凄かったです。

田宮 練習はきつかったですが、僕は「楽しかった」というのが実感です。チームメイトにも恵まれて、とても感謝しています。

古谷 最後の夏の準決勝(西大会:中央学院戦)で打たれたサヨナラ本塁打は、一生忘れられないと思います。ランナーがいない場面で初球がボール。2球目に内を狙ったストレートが中に入ってしまって。今考えれば、何となく投げてしまった一球でした。ああいう場面でも粘り強く抑えていける投手になりたいです。

田宮 2年の夏も下級生としてマスクをかぶっていたのですが、最後の試合となってしまった5回戦(市立柏戦)、同点の8回二死2塁からピンチを広げてしまった場面の配球が今でも悔やまれています。落ち着かなきゃいけない自分が焦ってしまい、ストレートを続けてしまい、結局は2点を奪われてしまった。ピンチになると、あの場面を思い出して平静さを取り戻しています。

―― お二人とも、悔しいことの方が強烈に覚えているのですね。さて、いよいよプロの世界に入るわけですが、どのような選手になりたいですか?

古谷 豪速球があるわけでもないので、周囲に惑わされることなく、自分なりの投球術を磨いていきたいと思っています。

田宮 自分のアピールポイントは「走れる捕手」だと言ってきました。プロ野球界ではそういう選手は少ないのではないかと思いますので、これを追求していきたいと思っています。

―― ファイターズは鎌ケ谷でのスタートとなります。古谷選手は鎌ケ谷出身ですね。田宮選手に鎌ケ谷の良さを教えてあげたらどうでしょうか。

古谷 はっきり言って、あの(ファイターズタウン)周辺は梨畑しかないので、野球に集中できると思います(笑)。一軍に上がる前には、イースタンリーグの鎌ケ谷で対戦できることがあるかもしれませんね。

田宮 僕たちは高校時代に一度も対戦がありません。お互いに一日も早く一軍に上がって、将来はマリンスタジアムで初対戦となれば良いですね。

古谷 拓郎(ふるや・たくろう)
2000年4月21日、鎌ケ谷市出身。
鎌ケ谷第二中学から習志野高校に進学、1年秋からベンチ入り。
緩急をつけた巧みな投球術で県大会上位進出の立役者となった。
2018年ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから6位指名。

田宮 裕涼(たみや・ゆあ)
2000年6月13日、山武市出身。
中学時代は佐倉シニアに所属。
成田高校に進学、1年生からベンチ入りし、走攻守揃った捕手として活躍。
2018年ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから6位指名。

文・写真/加藤昌孝

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